いじめのまとめ
「kmizusawaの日記 - たぶんこういうことだと思う」を読んで、
自分の小学校時代のいじめについて書こうかと思ったけど、
正直つらいので箇条書きで。
なにぶん15年以上昔のことなので、
知らず知らずに誇張されているかもしれませんが。
- いじめられた原因は今考えるとたぶん、あまりテレビを観なかったこと。
1979年生まれだから全員集合の終わり頃〜ごきげんテレビの世代なのだけど、
ほとんど記憶にない。
「メキシコ、メキシコ〜」は級友のオリジナルネタだと思ってたら、
ジミー大西だということを先日知った。
というか、テレビからネタを持ってくるという発想自体なかった。
彼らにとっては「こうネタを振ったらこう返すはずだ」という
暗黙の了解があっても、僕はそれを知らないのでいじめられたのかなと。
- あるいは道化的に、僕の一挙手一投足を笑うというルールが出来上がっていて、
僕は笑われキャラを演じるという役目を負っていたのではないか。
テレビをあまり観なかったので、その辺の呼吸がわからなかった。
あるいは小学生なので限度を知らなかった。
少なくとも、嫌われていたという印象はない
(この点がkmizusawaさんと異なる)。
- とにかく何をやっても笑われ、
笑うなと要求すればそれが滑稽なのかまた笑われ、
無視していれば文房具を取られたり落書きをされるなど。
何で笑われるのかの原因がさっぱりわからず(今でも本当のことはわからない)、
何を改善すればいいのかわからない。
- 一時期「チン毛」と呼ばれた。
別に陰毛が生えるのがクラスで最初というわけではなかったと思うのだけど。
宮沢りえのヘアヌード写真集(1991年)とからめてもいじめられた。
「ズル剥け」と呼ばれていた級友とは全く連帯感がなかった。
性とか恋愛、あるいは女性に苦手意識がある原因の1つがこれだと思う。
つまり「陰毛が生える=いじめられる=よくないこと」が
「性=よくないこと」と拡大解釈されているのだろう。
ちなみに男性と仲良くするのが苦手なのも根は同じで、
(中学のときに?)ホモっぽいと言われたため。
- 昼休みになるとまずトイレに行くので、遊びの輪に入る機会を逸しており、
ひとりで過ごしていたら、皆と一緒に遊ぶように担任から強要された。
仕方ないので「入れてー」と言ってドッヂボールの輪に入ろうとするのだけど、
例によって笑われる。
きっと「入れてー」の言い方に作法があって、
僕には皆と遊ばない時期があったため、
その作法を身に付けることができなかったのだろうと解釈する。
今になっても銀行で手続きするにはそのための作法があるんだろうとか、
妙に「自分はマナー知らずな人間だ」という感覚が強い。
- 作法よりもルールに近いところだと、殴られたので殴り返したら
「1発殴られたら殴り返していいのは1回まで」
というルールを押し付けられた件。
そんなの体力のないこちらが不利ではないか。
「泣いたら負け。喧嘩は終わり」というルールも押し付けられた。
そんなの根性のないこちらが不利ではないか。
最初は一対一の喧嘩なのにクラス中が敵に回るのは恐いな、と。
- 怒られるのが苦手。
怒られるのもいじめられるのも感情の上では区別がつかないため。
- 褒められても嬉しくない。
級友は笑いはするが褒めない。
大人は褒めはするがいじめから助けてはくれない。
褒められても、どうせ口先だけでしょ、という感覚がいまだにある。
- 誰も助けてくれない孤独感。
担任が事態を悪化させているわけだし、
親も親で「気にしすぎだ」とか
当時の僕には役に立たないアドバイスをするだけ。
- 自分では状況を変えられないという無力感。
せめて親や担任を通じて彼らに圧力をかけることができていれば、
逆境でも自分は戦えるという自信を得られたと思うのだけど。
あるいは反撃されて殺されるかもしれないけど、
覚悟の上で致命的な攻撃を加えるとかね。
椅子で殴る、刃物で刺す、階段から突き落す等。
反撃を受けてもダメージのない範囲での攻撃でしかなかったから、
余計つけあがらせていたのだろう。
あるいは相手にとってはじゃれ合いでしかなかったのかなと、今は思う。
- 友達だったはずの級友が突然いじめる側に回ることから、
いまひとつ他人を信用できない。
自分の弱点を小学校時代のいじめに結びつけてるのは
そういう解釈もできるという程度のもので、
明確な因果関係があるとはいえないとは思います。
念のため。
まとめると「理解できないルールの場」にも書きましたけど、
自分が何かのゲームに巻き込まれているのに、
そのゲームのルールがわからないし、
ゲームから降りることも許されないという不安ですね。
ただし自分以外のプレーヤーはルールを把握してゲームを楽しんでおり、
自分は確実にダメージを受け続けている。
「innocuous idiot - どうして「デスノート」はあれだけ流行ったか? - 内田樹『下流志向』を読みながら思ったこと」を読むと内田先生は「学び」をそのような種類のゲームに喩えているみたいですけど。